時間は大事

「よ〜く考えよ、お金は大事だよ」は某CMのキャッチコピーです。私がまだ学生をやっているせいもあるのか、このキャッチコピーをあまり意識せず普通に聞いていました。が、最近よく思う。「本当にお金は大事なのか」と。そりゃ全くお金が必要ないとは言いませんが、お金よりも時間の方が大事であるはずとなんとなく感じます。

よく「時間を買う」なんて言い方がされます。まぁたいていは経済の分野の言葉でして、お金を持ってる会社が技術を持ってる会社を買収することで、技術を開発するために必要であろうと思われる時間を節約し技術を手に入れる、てな使われ方です。まぁ経済の話を持ってきても私自身があまりピンとこないんで、もっと身近な例に置き換えて。

知り合いの某官僚様は文字通り寝る間も惜しんで仕事をなさってます。帰りはタクシー、洗濯する間も惜しいのでクリーニング店利用、てな具合に、まさしく時間をお金で買っています。まぁこれは極端な例でしょうが、電車の特急券・高速道路の利用料などは、典型的な「時間をお金で買う」例でしょう。

んでふと考えてみると、これまでの経済発展はまさしく「時間をお金で買えるようにする」ための技術で成り立ってきたんじゃないかと。掃除機や洗濯機があると、ない場合に比べて作業時間は大幅に減らせます。新幹線はムダな移動時間を減らします。電話は会いに行く時間を削れます。技術ってのは究極的には、人々の時間をより節約できるようにするために使われることが多いようにも思えます。

一方で、経済発展の結果時間を節約しまくってできた余暇はどのようにすごされるのかというと、いわゆる「遊び」に分類される部分になります。動物学的な広い意味での「遊び」と言えばいいんでしょうけど、ここではもっと一般的な意味の遊びでもいいです。エンターテインメントといった方がいいかも。ここで「人はなぜ遊ぶのか」なんてことを考えるのもいいんですが、その話はおそらく哲学につながってしまうと思うんでやめときます。「人間は遊ぶ動物である」とも定義されたりするくらいだそうです、へぇ。遊ぶ動物なら「遊ぶために生きている」といっても過言じゃないでしょう。

というわけで、上の話をふまえると、BF1942で遊んだ後「ああ時間を無駄に過ごしてしまった」と思ってしまうのは果たしてどういう状態なんでしょうか。「人は遊ぶために生きている」のならBF1942で遊んだんだから後悔する必要はないはず。なのに後悔するということは「人は遊ぶために生きているのではない」ということでしょうか。だからといって「仕事するために生きている」と結論づけるのもイヤだしなぁ。なので「BF1942で遊んで後悔する必要はない」ということにしておきます。よし、明日の晩もdamepo-jpnにいくぞ。

出だしと結論がこうも正反対なのは、理論の展開がまずいからであろう。「理論の展開がまずい」人の書く文章で「理論の展開がまずい」と主張するのはこれいかに。

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このページは、らるるが2005年10月 6日 05:00に書いたブログ記事です。

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