2006年2月アーカイブ

Web上の情報の信頼性

コデラ ノブログ: ツールとインフラ [ITmedia +D Blog]
まぁ、いろいろと考えさせられるテーマですわな。以下の文章は、上記の小寺氏のBlogを読んでからどうぞ。

テレビでやってるから信頼できる情報だとか、Webでやってるから信頼できない情報だとか、そういうインフラで信頼性を判断するのはもはやナンセンスなのはいうまでもないでしょう。

怪しい健康食品やら通販番組やらやってたり、ウソ交えて大げさに騒ぎ立ててるバラエティやってたりしている中で、「報道の信頼性が」「表現の自由が」といわれてもピンとこない人は多いでしょう。ニュースを伝えるに当たって報道の信頼性は不可欠だと私は考えているんで、ニュース番組とバラエティ・通販番組とは分けて考えないといけないでしょう。なのに、どの民放も総合チャンネルを目指そうとしているからこそ、おかしく見えちゃうんです。ニュースに特化したチャンネルやらスポーツに特化したチャンネルやら通販に特化した番組やら、そういう棲み分けを既存のテレビ局に求めたいと思ってるんですが、まぁ事はそうは流れてくれないでしょうね。

テレビが必ずしも信用たるとは限らないことはわかった。じゃWebの場合はどうなんだと。普通の人の感覚でいうなら、ITmediaやImpressに書かれた記事だとまずたいてい信用しているでしょう。2ちゃんねるに立てられたスレッドならウソかもしれないくらいの信憑性でにらむでしょう。有名人の書いてるBlogなら信用するのか、自分の知り合いのBlogならどうか、となっていきます。

「知り合いのBlogなら信用できるに違いない」の仮定のもと構築されるのがSNSであるといえると思います。まぁBlogだけではなくて本のレビューだったり他の情報だったりするわけですが。そういう、自分の友人、自分の友人の友人、に絞って情報を提示するのがSNSのいいところだと私は思ってるんですが、どうも今のmixiはそういう方向に行っていないような気がしないでもないです。すいません、ちょっと脱線しました。

小寺氏がコラムで書いている文章と、小寺氏がBlogで書いている文章とでは、何かしらの違いがあるんだろうという認識は皆が持っていることだと思います。じゃ何が違うんだと。そこの認識が人によって異なるから、今回の小寺氏のような衝撃が起こるんだろうと思います。

小寺氏によると、コラムは編集部の校正が入ったものであり、Blogは小寺氏のナマの文章であると説明しています。両者に有意な差を感じなくなってきているのが今の世代の人、ということなんでしょうか。うーん、どうなんだろ。私自身よくわからん。編集部の校正っていえば、誤字脱字チェックが入り、話の展開がおかしくないか考え、情報の裏付けをBlogの場合以上に行い、テーマがITmediaの編集長の趣旨にあうか検討され、んで多くの人に伝えたいと考える主張が結論づけられているか、あたりを私はイメージしますが、これはこれで合ってるんだろうか。

別の視点で考えるのなら、いくらBlogとはいえ「コデラ ノブログ」がitmedia.co.jpというドメイン下にあることそのものが信頼に足ると考えている人も多いかと思います。はてなダイアリーあたりで適当にIDを取って「私がコデラだ」といいながら記事を書いてたとしても、そもそも「おまえホントにコデラか?」という半信半疑な目でしか見てくれないかもしれません。それなりの肩書きがつきまとうところで書く文章だからこそ、たとえBlogであっても信頼に足ることを書いてくれるだろうという期待もあるかと思います。まぁ、itmedia.co.jpの下だと、何があってもITmediaの悪口は書かないだろうと思われてしまうデメリットもありますが。

肩書きがあるからこそ責任が伴う。責任が伴うからこそ本当にいいたいことはいわない。肩書きをおろせる匿名な2ちゃんねるだからこそ、テキトーなことをいえ、またなかなかいえないことも書ける。なかなかいえないことを書いてくれる人がいるから、2ちゃんねるに期待する人もいる。でも匿名だからそもそも信頼できない。

情報ってのはそういうもんなんですよ。情報系の専攻をもうじき修了する人(=私)がいってるんだから信頼できるっしょ?(ぉ)

え?私が情報系の専攻をもうじき修了する人だという主張がそもそも信頼できないって?ごもっともで。。

「最近、ブログユーザー同士のコミュニケーションが疎遠になってきた」らしいんで、普段はトラックバック送信しないところを、今回はあえてしておくことにしようっと。

3GCでStorageConnectionが使えない

2G向け(P5型以降)でStorageConnection使ってて動いていたようなやつを、3GC向けへ移植する時のチェック項目みたいなもの。*.jad/manifestがちゃんとかかれていないと「不正なアプリ」「不正なデータ」などの表示でダウンロードすら完了しない。

MIDlet-OCL: JSCL-1.2.0
MIDxlet-API: JSCL-1.2.0
MIDlet-Application-Range: 0,0
MIDxlet-ScreenSize: 0,0
MIDlet-Application-Security: Y
MIDxlet-Application-Security: Y
MIDlet-Permissions:
 com.j_phone.io.Connector.StorageConnection.read,
 com.j_phone.io.Connector.StorageConnection.write

以上を書いてみたものの、まだどこかおかしいらしい。何か書き足りないのだろうか。CFLFをLFだけにしてみたり、MIDlet-Nameの中にあった半角空白を消してみたりするものの効果なし。

参考
http://memories.cocolog-nifty.com/diary/2006/02/vodafone_3gc_2dbd.html
http://pc8.2ch.net/test/read.cgi/tech/1132493827/

劣化コピーの氾濫と金儲け

位置づけとしては増殖Webがうざい (らるるんちの日記)の続きということになるのかな。

何様 (コデラ ノブログ)
VIP系ブログが面白く思われないのは「稼いでいるわりにはプロっぽい仕事をしてないから」(インターネットよろずニュース)
あたりのサイトを読んでると、Web2.0時代ならではといえるかもしれない問題が見えてきます。

各種検索結果やデータベースを簡単に取り込めるAPIが公開されWeb2.0チックだ、と最近いわれます。旧来のバナー広告の代わりにアフィリエイトをブログで運営して小遣い稼ぎ〜、とかもいわれます。この両者が絶妙にからみあって、うざいというかこざかしいというか、そんなサイトが誕生しています。便宜上、そういうサイトを「***」と呼ぶことにします。・・・適切な名前を付けたかったけど思いつかなかった・・・

コンテンツは、API経由のデータをそのままベタリ、もしくは文章のコピペ(一応「引用」らしい)、最悪リンク張るだけ、だけどアクセス数をのばすのとアフィリエイト張る努力だけは惜しまない。で、アフィリエイト経由でお金が入ってくる。そんなブログやらWebサイトやらは最近よく見かけます。

まぁ運営している側の論理としては、技術の氾濫のおかげで、それっぽいコンテンツを簡単にねつ造していけるわけで、簡単に作ったサイトでそれなりの収入が得られるということになります。その気になれば、Amazonやら楽天やらYahooやらからデータを取ってきてそれを元にアフィリエイト入りまくりのブログの記事を書き公開する、しかもそのプロセスを全自動で、なんてのもできることでしょう。うまくアクセス数が増えてさえくれれば、何もしなくてもお金が入ってくるすばらしいシステムのできあがり、ってとこでしょう。

情報の劣化コピーを蔓延させ、しかも他所からかき集めてきたデータを並べるだけで金儲けまでしている。そんなサイトの存在が気にくわないという気持ちは私もよくわかります。でも実際は、そういう見方の人ばかりでもないんでしょうねぇ。

いくらコピペやリンクを張るだけとはいえ、少なからず編集はしているということになると思います。文章の加工もいっさいせずにベタっと張っているだけの場合でも、大量の情報(や検索結果)の中からその一部のコンテンツをあえて選んだんだという意味では、やはりこれも編集といえます。リンクをベタベタ張っているだけでも、オリジナルのニュースサイト上から何十もあるニュース記事のうちのごく一部をあえて選んで張ったんだといえます。

その編集結果に満足する人がいる限り需要があるということになり、この手のサイトはやはりなくならないでしょう。この編集の結果公開されるコンテンツは、編集をした人の興味が反映されたものであり、編集した人の興味や価値観に共感できる人がいれば、たとえそんな編集であっても満足するでしょう。一見価値のなさそうな編集されたコンテンツでも、その人にとって見れば、自分には時間がないので代わりにまとめをやってくれているありがたい人、かもしれません。劣化コピーなのかわかりやすく書き直したものなのか、その違いは紙一重でしょう。

いずれにしても、需要がなければ私のサイトのようにWeb上の大量のゴミページに埋もれていくだけなので、そんなに目くじら立てなくても〜、っと思ってしまうから私には金儲けができないのか、なるほどなるほど。。現実社会の代理店のインターネット版ともいえるかも。

精神論

この程度の重圧でやられているようでは、しょせん精神の程度がオコチャマなんだろうな。

ゲームを楽しめるアホな人たち

修論締め切りに追われる毎日が続いているせいで、まれにおかしなことを口走ってるような気がする今日この頃です。ZARDの「負けないで」の歌詞をすべて「もうダメポ」に変えた意味不明な歌を夜な夜な口ずさんでは、いきなり登場したトランプで大富豪が永遠3時間も行われるなど、もはやここは現代文明の行き届いた都市の中にある建物の一室とは思えない隔離空間になっています。

ゲームで遊ぶことほど時間を浪費するものはない、なんて言われたりもします。しかし、高度なルールの上で成り立つゲームを楽しむためには、高度なルールを理解しその上で戦略を考えることができるくらいの思考が必要になります。将棋なんて、そんな高度なゲームの一種といえるでしょう。まぁ本当にほめられるべきは、そんなゲームのルールを作る人ですけどね。

ただ、ゲームで遊ぶと言うことは、目の前に広がる現実を対象として「遊ぶ」ことを放棄した現実逃避の行動であるともいえます。現実があまりに複雑すぎてわからないことだらけなので、ルールが明確に決められてその結果理想的なモデルとして捉えることができるゲームの中で思考し遊んでいるにすぎないのです。基本的にゲームは現実と結びついていないので、いくらゲームで強くなれようが現実には影響を及ぼせません。まぁ賭博のような一部例外的ゲームもありますが。

ゲームで遊ぶという行為がいいことなのか悪いことなのかよくわかんないです。ただ、私にとって楽しいものであることは確かなようです。

久々に昼間に外を歩いていると、近くでフリーマーケットをやっているのが見えました。たくさんの人がいて、なんか人間味にあふれているような気がしました。それだけ。・・・なに書いてんだろ、オレ。

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