● 15年くらい前に思っていたこと
- なんでもオープンソースになってしまうと誰もソフトウェアにお金を払わなくなってしまう
- ソフトウェア開発者に資本主義的な価値がなくなってしまう
- オープンソースであることを強要するGPLの考え方は資本主義の敵なのではないだろうか
極論はともかく、資本主義のもとで企業が活動していく前提なら、オープンソースなんて主流にはならないだろうと思っていた。けど、現実は、思いの外オープンソースだらけな社会になっていた。
● オープンソースでもやっていける理由
a) 一部の競争力ある部分だけはオープンソースにしていない
b) インテグレート&サポートで儲ける
c) ソフトはハード買ったらついてくるおまけ
a)の例としてはOracle・・・と思ったけどOracleも b)的になってきた気はする。Microsoft Windowsもオープンソースではないけど競合があるという意味で b) に近いかもしれない。c) はLSIメーカが当てはまる。RenesasもNVIDIAも普通にGithubでソース公開してるような時代だしねぇ。
ただGPLは嫌われている、というよりGNUとFSFの原理主義的なGPLがといった方が正確かもしれない。GPLなソフトウェアの商用利用については潜在的な問題が指摘され続けれていたけど、それはBusyBox訴訟で現実のものになった。GPLなら直ちに危険というわけでもないが、相手のスタンスがわからないままではやはり潜在的なリスクなってしまう。その点Linuxは違う。「2016年8月29日 「SFCとブラッドリー・クーンは病原体」 ―Linus,26年目のスタートは毒舌から」まぁLinusが死んだらどう変わってしまうか問題は残るか。
いずれにしても、b)的なインテグレート&サポートはソフトウェア開発者の仕事として残っている。いくらソフトウェアがオープンソースでそこにあっても、それをインストールしたり設定したりチューニングしたり、場合によっては再現性確認して報告したり自分出直したりという作業は依然として十分な仕事になっている。いやでもとらえ方によってはこれはもうソフトウェア開発ではないのかもしれないけど。