「反省文を書く」は個人攻撃たるか

この記事は私自身の過去の反省文です。

技術的な問題やミスがあった場合に、その原因を掘り下げ、同じことが起きないよう仕組みそのものを見直す、なんていうのは今さら言うまでもなく当たり前のことだと思っている。もちろん過去も思っていた。これを行うためには、ミスや問題に直面した人にそもそも何があったのかを詳細にまとめて報告してもらわないといけない。そのことを指して少し揶揄してのつもりで「反省文書いて」という表現を私は過去に使っていた。でもそれは良くないことだと今さら反省している。

反省文と聞くと、本来の意味はともかく、普通の人はどう思うか。小学校や中学校のときになにか教師に怒られるようなことをしたあとに書かされる「私が悪かったです、すみません。」な文章を思い浮かべる人が多いと思う。本来の意味でもやはりなにか悪いことをしたという前提が置かれることが多いように思う。このため「反省文」と聞くとその悪いことを責められるというイメージを持つ人が多いと思う。

でも私はそんな「悪かったです、すみません」な謝罪が欲しかったわけじゃない。どうしておけばそういうミスや問題が起こらなかったかをはっきりさせたい、場合によっては対策もしておきたい、と思っていた。

とはいえ、「反省文」という言葉を使う限りはそうとは捉えない人が多かったんじゃないかと思っている。むしろミスを積極的に責め立てようとしているという印象を与えてしまったんじゃないかと思っている。個人攻撃に走ると課題解決には悪影響しか与えないのは言うまでもない。個人攻撃をしようとしてるんじゃないかと疑われることもやはり課題解決には悪影響しか与えない。

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このページは、らるるが2018年10月21日 05:08に書いたブログ記事です。

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