科学という名の宗教にだまされる人

先のエントリ"物理学会が「ニセ科学」との接し方を語るらしい"をさらりと紹介してしまったが、よくよく考えると非常に危険なことを日本物理学会はやろうとしているのだなぁ、と結論に至りました。

科学とはしょせんは世の中の現象に対する解釈の一つにすぎないわけで、自己矛盾しないような客観性を持った理論です。まぁ広い意味での1つの「宗教」でしょう。しかし、そうであるがために困った問題も起こります。

その一つが、科学が絶対であるとする、科学万能論・科学原理主義とでも呼べばいいものです。科学でないものは理論でないという考え方で、科学的に証明されないものを全否定します。結果、他の宗教と対立します。

二つ目が、一つ目の裏返しになります。世の中、(現代の)科学で記述不可能な現象がてんこ盛りなので、科学で説明できないことなど山ほどあります。そのことに気づいた結果、科学不信に陥り困惑してしまう人もいるそうで。そんな人はその後、科学で説明できないことをうまく説明してくれるような別のものを求めてしまいます。疑似科学であったり新興宗教であったり、はたまた既存の宗教かもしれませんが。

日本物理学会が「ニセ科学」と認定するものは、少なくとも科学を用いると否定できるような考えであるにもかかわらず、あたかも科学であるかのように誤解させるようなものであるかと思われます。しかし、この「ニセ科学」と(現代の)科学を用いても否定できないようなものは、その違いが紙一重であるともいえるわけです。つまり、ニセ科学の否定は、科学で否定できないものさえも否定してしまいかねない危険性を秘めています。

世の中、科学と矛盾しない宗教の方がさすがに多いとは思いますが、科学と矛盾する宗教もやはり存在します。というか、科学と矛盾する時点で反社会的である可能性大ですが。少なくともそういう宗教と科学が対立します。また、科学で否定できないものさえ否定してしまった結果対立してしまう宗教も出てくるかもしれません。

ほらほら、宗教対立ってろくなことがないことは歴史が証明しているでしょ?だから「ニセ科学」の否定は危険なのです。もちろん、それをふまえているからこそ、あくまで物理学会で語られるのは「接し方」なんでしょうけど。「接し方」を語った結果、誤解して否定に走ってしまう人も少なからずいるかもしれません。

現代版魔女狩りってか。

以下は直接は関係しないけどいろいろと関係しそうな話。インテリジェント・デザイン論(ID論):はてダ 悪魔の証明(Wikipedia) シュレディンガーの猫(Wikipedia) ラプラスの悪魔(Wikipedia)

「政治と宗教とひいきプロ野球チームが議題の議論はすべきでない」が私の信条だったんですが、それに反して最近私は価値観じみたエントリを書きすぎてしまいました。今回のエントリを持ってしてこれを終わりにし、上記の信条を心がけることにします。・・・まぁこういう信条を掲げること自体が一種の宗教なのかもしれませんがね。

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このページは、らるるが2006年1月 8日 01:25に書いたブログ記事です。

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