情報に価値がないという風潮

インターネットの普及により間違いなく情報の発信や共有のコストが下がった。一昔前までは百科事典で調べてもわからないような細かい用語の意味ですら、今はググればほぼ瞬時に調べることができる。便利な世の中になったものだ。

ただ、情報を得るのに必要なコストが下がった場合、その情報の価値は下がるのだろうか。

百科事典は用語がすべてあいうえお順に並んでいる。このため、調べたい言葉があった場合、その言葉があいうえお順でどのあたりに入っていそうかを適当にめくり、それをなんどか繰り返すことで、比較的容易に目的の言葉の書かれた箇所にたどり着ける。これがもしあいうえお順ではなく適当に並んでいたら、目的の言葉がどこに書かれているかを前から後ろまで順に探さなければならない。

ググる行為も同じだ。言葉を入れて検索すればそれっぽいのを即座に上位に表示してくれるから便利なのだ。これがもし、いちいちYahoo!のディレクトリトップから順に目的のページまでリンクを辿らなければならなかったら非常に大変だ。

つまり、欲しい情報を即座に取り出せる仕組みがなければ、いくら情報が集まっていたとしても価値がなくなってしまう。情報そのものに価値があるのではなく、情報にアクセスする手段に価値があるとも言える。

一方、HDDの容量は増加し続け、今や1台で10TBも可能な時代となった。昔に比べたくさんの情報を入れておくことができる。ただ、入れた情報の中から目的のものを探しをすぐに取り出せるかどうかは別問題だ。すぐに取り出す手段がなければ価値がない。昔に比べたくさんの情報が入るので、昔に比べ取り出しやすくなっていないと逆に価値が下がっているわけだ。

というわけで、たくさん保存できるからと言ってなんでも保存するのは良くない。たいていは、容量が一杯になってから慌てることになり、取り出す手段を考えていないと何が不要かもわからなくなり、情報の価値が更に下がる。

・・・とか難しい話はどうでもいいので、ファイルサーバをゴミみたいなファイルで埋め尽くすのやめてくれませんか?

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このページは、らるるが2018年3月 7日 03:27に書いたブログ記事です。

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