ITmedia エンタープライズ:現実的な理想主義
かなり古い記事ですが・・
GPLとは、GPLのもとで公開されてるソースを流用して作ったソフトを公開する場合にソフトのバイナリと一緒にソースを含めてかつGPLにしなければならない、てな感じの理解でとりあえずはいいと思うんですが、そっから先はややこしいですな。
静的リンク動的リンクの問題、プロセス間通信やネット越しでの利用時の問題、そもそも法的に有効なのかどうかの問題、などなど。まぁ素人の私が考える問題ではないんでしょうけどね。
FSFとGNUはいってみればGPL原理主義で「GPLであり続けなければならない」を掲げる宗教団体非営利団体です。GPLを適用したからといって、必ずしも原理主義であるとも限らず、もちろん自動的にGNUソフトウェアになるわけでもないです。
FSFとGNUは原理主義なので、GPLに抜け道がないかビクビクしています。とゆーわけで、時代の流れに対応するという意味で、GPL v3が作られて、原理主義であり続けるためにはどうすればいいかを議論しているわけです。それに対し、GPL v3は現実的でないよ、とかつぶやく人が出てきたりと。
結局のところ、GNUとLinuxを分けて考えないといけないってことですかねぇ。でも、私のような素人にはその違いがわからんですよ。ええ。
っというようなことをhttp://www.tamacom.com/~shigio/legend/birth-os-j.htmlこのネタページを発見したときにもっとまじめに調べときゃよかった、と今になって反省。
著作権や特許の訴訟もややこしいけど、権利を放棄するためのやり方もややこしいという現実。GPLとは何なのかを考えずにGPL適用するのはやはり危険な気がする。以下の流れがなぜか切なく感じた。http://pc8.2ch.net/test/read.cgi/linux/1154170666/
185 :login:Penguin:2006/08/16(水) 19:22:21 ID:Zkol9SZh
結論:揉め事を避けたかったら、GPLは避けるべし188 :login:Penguin:2006/08/16(水) 21:35:53 ID:U876pM3V
189 :login:Penguin:2006/08/17(木) 00:34:52 ID:oUSPW9B/
>>185
他のライセンスなら揉め事が避けられるというわけではない
揉め事を避けたかったらこの世から去るしかない
この世から去る事自体が揉め事を起こす罠