平たくいえば、世の中には本当のこととウソのことと本当かウソかわからないこと、の計3つがあるといえると思う。「ウソをつかないように」とか「正直になりなさい」ってのは、意図的にウソをついて他人を困らせるようなことをするなという意味だろうと思う。
ウソをつく人というのは、一般的に他の人から信頼されなくなるといわれる。日頃「オオカミが来た」とウソをついて他人を困らせた少年は、本当にオオカミが来たときに「オオカミが来た」といっても信じてもらえない。
なんだウソをいっちゃいけないのか、っと早合点してはいけない。オオカミ少年の例では、オオカミがいないのに「オオカミが来た」とウソをつく場合と、オオカミが本当に来て「オオカミが来た」と本当のことをいう場合と、この2通りの場合があってはじめて困ったことが起こる例である。つまり、ウソをついて信用がなくなるというのは、ウソのことをいう場合もあれば本当のことをいう場合もあるという両者が混ざった状態の時である。「本当かウソかわからないこと」まで入れると話がややこしくなるので、これではそれはおいておきます。
ここで1つの妄想をしてみる。もしウソのことしかいわない人がいれば?そんな人がいれば、その人のいうことは必ずウソである。つまり、その人のいうことと矛盾する本当のことが必ず存在するという意味にある。たとえば、この人に「あなたは男ですか」と質問し「はい」と答えたなら、この人は女であるといえる。この人に「2006年のセンター試験の国語IIの一番最初の問いの答えはAですか」と質問し「いいえ」と答えたなら、一番最初の問の答えはA以外である。述語論理まで考えると「その人のいうことと矛盾する本当のこと」を探すのが難しくなるけど。
つまるところ、ウソしか言わない人っていうのを演じるのは非常に大変である。本当のことを知っていなければ、本当のことに反するウソのことを言うことができないからである。ウソしか言わない人っていうのはえてして何かを知っている人なんですよ。
金田一少年の事件簿の「首吊り学園」では最後で、犯人しか知り得ない情報を犯人から引き出すためにマーク式試験を課している。犯人は自分が犯人であることがバレるのがイヤなので、意図的にウソを答えてしまう。犯人じゃない人はウソか本当かわからないので適当に答えてしまう。結果、犯人以外は平凡な点を取り、犯人は0点を取る。選択式で50問くらいあったとき0点を取るのは難しいんですよ。
というわけで、あなたもセンター試験ですべての科目で0点を目指してみませんか?私も機会があればそういうのを目指してみたいです。
っというのを虚構新聞社の案内を読みながら考えてました。虚構新聞社ではウソのことしか書かれません。それはそれですごいことなんですよ。